2025年4月13日 · 文:Kiyo Darner · 約3分
田舎寿司:魚を使わない、古いほうの寿司
野菜の寿司と聞くと、菜食の方のために近年こしらえたもの、と受け取られることがあります。実際はむしろ逆です。魚を使わない寿司のほうが古く、日本の広い範囲では、それしか選択肢がありませんでした。
寿司はもともと保存食でした
原形である熟鮓は、魚を塩と炊いた米に漬け込み、何か月も発酵させたものです。米は食べるためのものではありません。乳酸を生んで魚が腐るのを防ぐための仕掛けであり、たいていは捨てられていました。
私たちが思い浮かべる握り、酢飯に生の魚をのせたあの形は、江戸のファストフードとして生まれたものです。とても良いものですが、歴史のなかではかなり新しい。そのころにはもう、寿司は国じゅうで何百年も作られていました。
山に入るとどうなるか
海がなく、冷蔵もなく、魚も日々は手に入らない山村を思い浮かべてみてください。あるのは米、酢、塩、漬物、山菜、そしてそこで採れるもの。
だからそれが飯の上にのりました。奈良や和歌山の山間の柿の葉寿司は、柿の葉で包みます。葉には穏やかな抗菌作用があり、日持ちする。熊野のめはり寿司は、高菜の漬物で飯を包んだもので、大きく口を開けて目を見張るから、その名前がついたと言われます。地域は違っても理屈は同じです。あるもので作り、日持ちさせる。
田舎寿司とは、こうしたものの総称です。文字どおりの意味で庶民の食べもので、そしてとてもおいしい。
なぜ成立するのか
見落とされがちなのは、酢飯が中立な土台ではないということです。酢、砂糖、塩で調味されていて、すでに酸味と甘みを持っています。
魚が担っているのは、脂と、やわらかい食感です。魚を外すなら、その二つの仕事を別のもので埋める必要がある。焼いたきのこは旨味と噛みごたえを持ってくる。味噌を塗った焼き茄子は、脂と、口の中で崩れる感じを持ってくる。漬物は鋭さと歯ざわりを持ってくる。どれも魚の代用をしているのではありません。同じ役割を、別の方向から果たしています。
いちばん人の考えを変えるのは、焼いたエリンギです。厚く切ってしっかり焼き色をつけると、食感は帆立の近くに着地しますし、焼くことで生野菜にはない香ばしい厚みが出ます。
うちでのこと
うちの田舎寿司は内容が入れ替わります。それがこの様式の要点だからです。決まった品書きではなく、そのとき良いものに従う。ここに書いても古くなるだけなので、何が出ているか聞いてください。
同席の方が魚を召し上がらないとき、かっぱ巻きを頼んで夕食ということにするよりは、こちらのほうがずっと良い答えになります。そしてそれを抜きにしても、単純に頼む価値のある一皿です。
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